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2013.02.12

記憶についての考察

僕の映像表現は何時からか、記憶を具現化することがテーマとなった。

で、最近は記録映像と、記憶の情報量を比べて互いの価値について考えてみたりしているのだが、写真や、映像をやってみて、非常に柔軟な表現を出来るところから、完全に現実を第三者的にコピーできることは無いと判断し、情報の正確性という判断で価値の差をつけることは出来ないと考えている。
また、記憶については、自分の中で心地よいもののみを手の届く引き出しにしまって、いつでも見れるようにしている。過激に刺を持った激しい痛みを伴う記憶については、深い奥底にしまい、特別な鍵を仕立てているようだ。

僕は、事有るごとに、昔の記憶を取り出し見ていることがある。いや、正確に言うならば、それらのソースを元に幻覚を作り出しているように思う。記憶の断片から、思い通りのストーリーを組み立てている訳だ。記憶にすがっているとでも言うのか。こういった側面から、記憶というものは、その本人にとって肌障りの良いモノのみを手元に置き、柔軟に組み替えられるよう、正確な実際の事実ではなく、概要のみを記録しているように思う。

僕は、いつかそうした幻覚から解き放たれたいと考えている。こうしたテーマをもってい映像表現に挑むことが、自信の解放に繋がるかは実際のところ分からない。本当は、原因となっている返しのついた針を力ずくで抜けば良いのだろうが、それには大きな傷を伴うし、傷口はひどく荒いものになるだろう。要するに怖いのだ。。

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